すべてのビジネスは『情弱商売』だ

情弱というのは情報弱者の意味ですが、本来「弱者」というのはバカにしたり蔑んだりする対象ではなく、守るべき対象です。車社会の中で、歩行者や自転車等は交通弱者と言って、車やバイクと接触するとどうしても負けてしまう立場なので、法的に守られているんですね。もっとも、明らかに行儀の悪い自転車等があまりに増えたので、そこは見直されてきていますが。

わからない人がいるからビジネスが成り立つ

私は個人事業を含めると97年から20年間、Web系の会社を経営しましたが、特にこの業界は「へ?!そこから?」という、想像の上を行く初心者質問が多いんですよ。CMS全盛で、誰でも自分のサイトくらい作れる時代になっても、そのCMSの使い方はもちろん、その他基本的なところもまだまだ知識やスキルのない人が大半です。

それをアウトソーシングするのはもちろんありです。僕もそうしています。でも、自分でやりたいのに、ここがわからないって聞いてくる人の質問のレベルは、正直20年経ってもあまり変わりません。

セミナー業もそうですね。セミナーで話したことを、すべての参加者がまじめに実践するなら、セミナー講師というのは職業として成り立ちません。次の日に実践するのはせいぜい三割、一週間後は一割もいないでしょう。

車はどうでしょう。中にはちょっとした整備やオイル、タイヤ交換くらいなら自分でやる人もいると思いますが、修理となると大半は車屋さんに持って行きますよね。まず、症状見てどこが不調なのかもわからない。

家電なんかは、今はとにかく大量消費を誘うので、修理して直せそうなものでも「買ったほうが安いですよ」と来るし、実際そうです。でも昔は町の電気屋さんが修理したりしてたわけで、機械に強い人なら自分で治せるのかも知れません。

そう考えると、すべてそうですよね。わからない人がいるからビジネスが成り立つのです。情報弱者がお客さんなのです。

私は、Webのことは、数年で消えていきそうなツールなんかは掘り下げる気になれませんが、流れの根幹になる部分は、今でもある程度自分で勉強します。その上でアウトソーシングするので、何も知らないジジイに話すように相手から説明されると、少しもどかしくなることはよくあります。

そんな時、会話の中でわざわざ知識の一端を知らしめるような発言をしたりして、なんか自分でもそれが嫌なんですが、それは「知ってるぜ」的なマウントを取りたいのでは決してなくて、自分にとって常識的なことを丁寧に説明される時間の無駄がストレスなのです。携帯ショップでクソ丁寧にわかってることを説明されるアレです。マウントではなく防御です。

が、「情報弱者」が市場を支えている以上、50+のジジイを一括りにされるのは仕方ないのだろうと思います。

弱者を蔑む慇懃無礼

ただね。この「情弱」という言葉には、弱者を蔑んでいる響きがどうしてもあるんですよね。冒頭書いたように、弱者は本来守るべき対象です。しかも、ほとんどのビジネスにおいて、情報弱者こそが顧客なのです

いかにもマナー講習などを受けて必要以上に丁寧な接客をしても、そのような弱者を蔑む気持ちは、どこかに表れます。いわゆる慇懃無礼というやつです。「お金」を軸に人を測るのが仕事の銀行員なんかはやたら多いですね。今どき、お金を銀行に預ける方が情弱じゃねーの?とは少し思いますけれど。

何が言いたいのかというと、それぞれみんな専門分野があって、その専門性を高めるために勉強と経験を積んでいる中で、世間の目線から外れてしまうことが、往々にしてあるんじゃないかと思うんですよ。自分がレベルアップしていくに連れて、レベルアップしない世間を見下してしまうというか。

どこにいても、同じような情報を得ることができる今の日本において、本来「情報弱者」とは、メディアの報道を鵜呑みにして自分の頭でフィルターをかけられない人を指すのだと、私は解釈していますが、いつの間にかそれが「自分が知っていることを知らない人」を蔑む言葉になっている気がします。

専門家であるあなたは、知っていて当たり前。そうじゃない人は、知らなくて当たり前。そして、そうじゃない人がいるから、自分の専門性が成り立つんだということ。自分に給料を払ってくれているのは、「知らない人たち」なんだということを改めて認識したら、もう少し仕事の幅は広がると思います。特にIT系は。

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